SEASON 1 / CASE 007 / 賞金 回収 70,000 cr ほか
宇宙は寒いのに、なぜ宇宙船は熱くなる? CASE 007「凍らない遺体」
この記事のもくじ(19項目)
まずは、かんたんな答えから
宇宙は寒いのに宇宙船が熱くなるのはなぜか、かんたんに言うと
宇宙はとても寒い、と聞きます。それなのに宇宙船は熱くなります。なぜ熱くなるのでしょうか。
理由は、宇宙にほとんど何もないからです。地球なら、まわりの冷たい空気が体の熱をうばってくれます。宇宙には、その空気がありません。
宇宙船の中では、機械も人も熱を出しつづけます。その熱は、赤外線として外へすてるしかありません。すてる道がふさがると、まわりが暗くて冷たくても中は熱くなります。
人も、真空に出たしゅんかんに凍るわけではありません。先に、空気のうすさと酸素ぶそくのほうがあぶなくなります。
つまり宇宙で困るのは、冷やされることではありません。熱をすてられないことなのです。
この記事に出てくるナイトジャー号は、STAR WARRANT の物語です。真空、熱放射についての説明は、実際の観測と研究にもとづいています。
遺体は、凍っていなかった。
三年間、恒星から遠い宇宙を漂っていた一人用救難ポッド。
生命維持装置は停止。冷却材は空。外殻の左側には白い霜のような結晶が残り、右側だけが黒く焼けている。
それでも船内温度は、摂氏46.8度まで上がっていた。
遺体が着ている宇宙服も、右半分だけが熱で変色している。
手に握られていたのは、エナ・ソレルの認証票だった。
そしてポッドの外では、赤い数字が減り始めていた。
証拠滅却温度まで 00:13:00
先に結論:宇宙は「冷たい空気」で物を冷やす場所ではない
宇宙空間はほぼ真空なので、地上のように冷たい空気が物体に触れ、熱を奪う対流がほとんど起きません。
宇宙船の内部では、部品同士の接触による熱伝導で熱が移動します。船外へ熱を捨てる主な方法は、赤外線などの電磁波として放つ熱放射です。
そのため宇宙船は、
- 太陽光
- 電子機器
- バッテリー
- エンジン
- 乗員の体温
などで生まれた熱を、放熱器へ運んで宇宙へ放たなければなりません。放熱器が閉じたり、太陽や熱源を向いたり、断熱材が熱を閉じ込めたりすると、周囲が暗く冷たく見えても船内は過熱します。[参考1][参考2]
人間も、真空へ出た瞬間に氷像になるわけではありません。より早く問題になるのは酸素不足と低圧です。露出した水分の蒸発による冷却は起こり得ますが、体内の熱が一瞬ですべて失われるわけではありません。[参考3][参考4]
では、N-7の船内へ熱を入れ、逃げ道を閉じたのは誰でしょうか。
賞金首になった船
ナイトジャー号の操縦室には、二つの赤い輪が浮かんでいた。
一つは救難ポッドN-7。
もう一つは、自分たちの船を囲む船体確保令状だった。
「追跡船、四隻」
MICA-13が報告する。
「最短到着は四十一分後。全船がナイトジャー号の捕獲令状を受諾しています」
ハク・ヴェイルの船《ヴェスパー》が、ナイトジャー号の右後方を飛んでいた。
通信画面に映ったハクは、いつもどおり余裕のある顔をしている。
「九十万クレジット。君たちもようやく、追う価値のある顔になったな」
「今なら半分やるぞ」
ジョウは答えた。
「船長だけ持っていけ」
レイが操縦席から振り返る。
「聞こえてる」
「わざとだ」
ミラは冗談へ加わらなかった。
N-7の熱画像を拡大する。
ポッドは十三秒に一度、ごく弱く姿勢を変えていた。
推進器は停止している。それでも、何かが外から一定の方向へ押している。
「熱源が動いている」
ミラが言った。
「ポッドの右舷へだけ、細い赤外線が当たっている」
レイは周辺地図を開いた。
「発信元は」
「まだ見つからない。背景温度へ紛れている」
ジョウは画面の隅に表示された古い部品番号を見て、身を起こした。
YS-TC/07。
火星の整備学校で、何百回も見た刻印だった。
「その熱制御器を設計した人を知ってる」
レイが振り返る。
「誰だ」
ジョウは答えるまでに、少し時間がかかった。
「ユラ・セイン」
火星生まれの熱設計技師。
ジョウが十五歳の頃、工具の握り方から教えた人だった。
三年前、BH-13の観測圏へ向かったあと消息を絶った。
火星では、契約金を持ち逃げしたと噂されていた。
ジョウも、それを信じていた。
「口癖があった」
ジョウはポッドの温度分布を見る。
「熱は消えない。誰かに渡すか、宇宙へ捨てるかだって」
外殻右側の温度が、さらに二度上がった。
冷たい宇宙に浮かぶ、熱い棺
ナイトジャー号はN-7と相対速度を合わせた。
ポッドは、片側だけを赤く光らせながらゆっくり回っている。
右舷外板は黒く変色し、断熱材の一部が縮れていた。
左舷には銀色の多層断熱材が残り、光を鏡のように返している。
船尾には折り畳み式の放熱器がある。
本来なら黒い板を翼のように展開し、内部の熱を赤外線として宇宙へ放つ装置だ。
しかし、二枚とも閉じたままだった。
「寒い場所で、わざわざ扇子を開くみたいな板が必要なのか」
レイが聞く。
「逆だ」
ジョウは接続用宇宙服の手袋を締めた。
「空気がないから必要なんだ。地上なら、熱い機械の周りの空気が温まって動く。ここには、その空気がない」
「放っておけば冷えるんじゃないの」
「放射はする。でも、断熱材で包んだ小さなポッドが、電子機器と同位体ヒーターの熱を捨てるには遅すぎる」
ミラが数値を読む。
「内部46.8度。右舷構造材81度。放熱器の基部は112度」
「開かない理由は」
「壊れたか、閉じられたかだ」
ハクが割り込む。
「三つ目もある。開けると困る物が中にある」
N-7の救難ビーコンへ、新しい令状が重なった。
生物汚染証拠・緊急熱処分命令
処分完了報酬:1,400,000クレジット
ジョウは読み上げた。
「回収より、焼く方が二十倍高い」
レイは接続アームを伸ばす。
「なら、中身は二十倍見られたくない」
身元不明ではなかった遺体
N-7の船内は、薄い非常用気体で満たされていた。
地上の空気よりはるかに低い圧力だが、完全な真空ではない。
入った瞬間、ジョウのヘルメットへ警告が出る。
周辺温度:49.1度。
熱負荷上昇中。
一人用座席には、宇宙服を着た人物が固定されていた。
顔は遮光板の奥に隠れている。
右肩から脇腹にかけて、服の外層が黒く変色している。
左腕と左脚には、白く乾いた冷却材の跡が残る。
火災報知器は作動していない。
酸素濃度の履歴にも、燃焼した形跡はない。
「火は出ていない」
ミラが言った。
「なのに焼けている」
人物の右手には、エナ・ソレルの認証票。
左手は、座席脇の機械式レバーを握ったままだった。
ジョウは宇宙服の胸部へ付いた小さな金属板を見つけた。
細い線で、火星の山と二本の放熱器が刻まれている。
ユラ・セインの私物工具に付いていた印だった。
「顔を確認する」
ミラが止める。
「待って。船内温度を変える前に、熱分布を記録したい」
「人を炉に入れたまま、きれいなグラフを取るのか」
「死亡時刻と加熱順序が消える。誰が何をしたのか分からなくなる」
「もう三年だ」
「だからこそ、今残っている変化が最後の証言になる」
ジョウがミラへ近づく。
「この人は測定試料じゃない」
ミラは視線をそらさなかった。
「分かっている。九十秒ほしい」
「長い」
「六十秒」
レイが二人の間に入る。
「ジョウが決めろ」
船の修理を任せるときと同じ声だった。
ジョウは座席の人物を見た。
ユラは昔、故障した冷却器の前で、何度も同じことを言った。
熱は、最後に通った道を隠せない。
「四十五秒」
ジョウは言った。
「四十五秒で全部取れ。その後は冷やす」
ミラはすぐに測定器を並べた。
宇宙船は、どうやって熱を捨てるのか
地上では、熱は主に三つの方法で移動します。
熱伝導
高温の物体と低温の物体が接触していると、熱が材料の中や接触面を通って移ります。
宇宙船内部では、電子機器から構造材、熱ストラップ、配管、冷却材などを通して、熱を放熱器まで運びます。
対流
空気や水などの流体そのものが動き、熱を運びます。
地上で熱い飲み物の上の空気が上昇したり、扇風機の風で身体が冷えたりするのが対流です。
船内に空気があれば対流は起きます。しかし船外の真空には、熱を運ぶ空気がほとんどありません。
熱放射
物体が電磁波としてエネルギーを放ちます。
真空でも伝わるため、宇宙船が外部へ熱を捨てる中心的な方法です。放熱器は、内部の熱を集め、赤外線として宇宙へ放ちやすい表面を持ちます。[参考1][参考2]
宇宙船の温度は、単に「周囲が何度か」では決まりません。
- どれだけの光や放射を受けるか
- 表面がどれだけ吸収するか
- 内部でどれだけ熱が生まれるか
- どの方向へ放熱器を向けるか
- 断熱材で何を守り、何を外へ逃がすか
という、熱の収支で決まります。
N-7では、熱を生む装置が残っている一方で、熱を捨てる放熱器が閉じていました。
宇宙が冷たいから凍るのではなく、熱の出口を失ったために熱くなっていたのです。
あなたなら、最初にどの証拠を見る?
A:閉じたままの放熱器
本当に故障したのか。それとも、外から閉じられたのか。B:左右で状態が違う宇宙服
火がないのに右側だけ焼け、左側だけ乾いているのはなぜか。C:十三枚の温度記録片
電源を必要としない小さな金属片が、何を記録しているのか。
選ばなかった証拠も、事件の中ですべて回収されます。
A:放熱器は壊れていなかった
ジョウは船尾の整備口を開いた。
展開モーターは焼損している。
しかし、その前の機械式ロックには損傷がない。
「故障して閉じたんじゃない」
ジョウはロックの位置を読む。
「正常に閉じたあと、モーターだけ焼かれてる」
制御器には、十三分ごとに同じ命令が残っていた。
- 放熱器を閉じる
- 姿勢制御を固定する
- 右舷を外部熱源へ向ける
- 十三分間、温度を上げる
- 目標温度へ達しなければ再実行
命令の署名は、MICA-13の鍵ではない。
中央記録局の内部保全設備だけが使う、物理証拠処分用のサービス署名だった。
CINDER-7。
ミラが名称を読む。
「熱処分ドローン」
MICA-13が補足する。
「生物汚染物、偽造媒体、押収不能な記録装置を、遠隔加熱によって無効化する装置です」
「証拠を燃やすための公的設備か」
レイの声が低くなる。
「公的記録では、感染拡大防止用です」
「何を感染と呼ぶかは、命令した側が決める」
放熱器を閉じた命令は、三年前にも実行されている。
そして十一分前、ナイトジャー号が旧識別C-13-NTJを全宇宙へ再送した直後、再び起動していた。
三年間止まっていた処分命令が、ナイトジャー号の帰還によって目を覚ましたのだ。
B:片側を焼いたのは、炎ではなかった
宇宙服の右側には、外から炎を浴びた形跡がなかった。
熱は、座席の右側フレームから伝わっていた。
外殻が赤外線で加熱され、構造材を通って座席へ入り、宇宙服へ移った。
熱伝導による損傷だった。
一方、左側の白い跡は冷却水だった。
宇宙服の水冷管が裂け、低圧の服内へ水が漏れている。
水の一部は急速に蒸発し、その際に周囲から熱を奪った。
そのため左側だけが強く冷え、乾いた跡を残した。
「右は熱を渡された。左は水が熱を持って逃げた」
ジョウが言う。
「同じ服の中で、加熱と冷却が同時に起きてた」
ミラは生命維持記録を確認した。
ユラはポッド分離後、二時間四十六分生存していた。
最初の死因は宇宙の寒さではない。
外部加熱を止めるため、電力を姿勢制御と放熱器へ回し続けた結果、酸素循環が低下した。
その後、右側構造材の温度が上がり、宇宙服の冷却管が破損している。
ユラは凍死したのではない。
熱を捨てられないポッドの中で、証拠を守りながら酸素を失った。
ジョウは記録を閉じた。
「持ち逃げじゃなかった」
誰へ向けた言葉か、自分でも分からなかった。
C:十三枚の金属片は、電源のいらない時計だった
宇宙服の胸部には、温度によって一度だけ形を変える小さな金属片が十三枚並んでいた。
低い温度で反応するものから、高い温度で反応するものまで、限界値が少しずつ違う。
電子記録ではない。
一度変形すれば、電源を切られても元に戻らない。
ユラはそれを、熱が通った順序を残す最大温度記録片として使っていた。
ジョウは一枚ずつ外す。
一枚目は、右舷外板。
二枚目は、座席フレーム。
三枚目は、酸素循環器。
四枚目は、宇宙服右肩。
熱は、外から内へ移っている。
船内機器の故障から始まった火災ではない。
さらに七枚目だけが、他の記録片と逆向きに取り付けられていた。
裏面には、針で文字が刻まれている。
WITNESS 07:HEAT
熱は削除できない。経路を変えられるだけ。
ミラが息を止めた。
「第七証言」
CASE 001から回収してきた証拠が、彼女の端末へ並ぶ。
- 船体振動
- 火星の画像
- 月面の足跡
- 生体記録
- 十三個の時計
- ブラックホールから届いた光
- 熱の履歴
偶然ではなかった。
エナたちは、消去方法の異なる十三種類の証言を準備していた。
一つのデータベースを奪い返す計画ではない。
宇宙の異なる物理現象そのものを、十三人の証人にする計画。
それが「消えた十三分間」の反対側にあったものだった。
十三分間の再加熱
警告音が鳴った。
ポッド右舷の温度が、八度跳ね上がる。
MICA-13が外部映像を拡大した。
星のない暗闇に、細長い機体が現れる。
黒い板を何枚も重ねた無人機。
中央には、赤く光る照射口がある。
CINDER-7。
三年前にN-7を焼いた処分ドローンが、同じ命令を終わらせに来ていた。
目標内部温度:430ケルビン
維持時間:13分
現在温度:329ケルビン
「摂氏157度を十三分」
ミラが言う。
「有機試料も接着剤も、残存記録も壊すつもり」
ジョウは放熱器の手動展開を試した。
動かない。
モーターの軸が熱で固着している。
ナイトジャー号から冷却材を送れば、ポッドは冷やせる。
ただし、ナイトジャー号自身の推進器と電源系を冷やす余裕がなくなる。
四十一分後には、捕獲令状を受けた賞金稼ぎが来る。
エンジンを冷却できなければ逃げられない。
ハクが通信を開く。
「遺体と金属片だけ回収しろ。ポッドは捨てる」
「隠し区画がある」
ジョウが答える。
N-7の質量計測値は、設計値より412キログラム重かった。
船内に見えている装備だけでは説明できない。
「中身が分からない箱のために、全員を焼く気か」
「人のためだ」
「その人はもう死んでいる」
ジョウの手が止まる。
ハクの声は冷たいが、間違ってはいない。
レイが言った。
「ジョウ。船を任せる」
結論も命令も与えなかった。
ジョウは閉じた放熱器と、ユラの十三枚の記録片を見る。
ユラなら、何を直すか。
熱源ではない。
熱の出口だ。
「ナイトジャーの冷却材は使わない」
ジョウは船外作業用の切断工具を取った。
「放熱器を手で開く」
ミラが止める。
「照射側へ出ることになる」
「だから船を回す」
「ポッドを接続したまま回せば、捕獲船への離脱が遅れる」
「十三分あれば十分だ」
ハクが笑った。
「その数字を信用する連中は、だいたい酷い目に遭う」
「今回は十三分で終わらせる」
熱を宇宙へ捨てる
ジョウはN-7の船外へ出た。
右側の外板からは、宇宙服越しにも熱流警告が届く。
反対の左側は、星明かりを返す銀色の断熱材に覆われている。
同じポッドの表裏で、温度は百二十度以上違った。
空気がないため、その差を風がならすことはない。
構造材の中を熱がゆっくり伝わり、表面はそれぞれ受け取った放射と放った放射の収支で温度を変える。
「切断位置、あと三十センチ上です」
MICA-13が誘導する。
「そこは冷却管だ」
「訂正します。二十六センチ上です」
「感情があるなら、今は隠してくれ」
「私は正確性を優先しています」
「それが怖いんだよ」
ジョウは放熱器の固定軸へ工具を当てた。
CINDER-7の照射口が動く。
赤外線そのものは目に見えない。
しかし熱画像の中では、細い線がジョウへ近づいてきた。
《ヴェスパー》が間へ入る。
銀色の遮熱膜を広げ、照射を受け流した。
「三分だけ貸す」
ハクが言う。
「膜が焼けたら請求する」
「生きてたら払う」
「その契約は信用できない」
ジョウは固定軸を切った。
一枚目の放熱器が開く。
だが、CINDER-7はすぐに照射方向を変えた。
放熱器を直接加熱し始める。
熱を捨てるための板が、今度は熱を受け取る入口になる。
「向きを変えろ!」
レイがナイトジャー号の姿勢制御を噴かす。
二隻とポッドが、ゆっくり回転する。
《ヴェスパー》の遮熱膜がCINDER-7側を覆い、開いた放熱器が何もない深宇宙を向く。
内部温度の上昇が止まった。
放熱器へ運ばれた熱が、赤外線として暗闇へ逃げ始める。
329ケルビン。
328。
327。
「下がってる」
ミラの声が変わった。
ジョウは二枚目の固定具へ移る。
そのときCINDER-7が、小型推進器を噴かして遮熱膜の外へ回り込んだ。
照射口がナイトジャー号の冷却配管を狙う。
ハクの船が追うが、間に合わない。
MICA-13が言った。
「CINDER-7は、最も熱を処理している箇所を優先目標に選択しています」
ジョウは二枚目の放熱器を見た。
まだ閉じた板の裏に、相変化材の蓄熱ブロックがある。
ユラが設計した非常用装置。
温度が上がる間、内部で材料が溶けることで大量の熱を一時的に吸収する。
冷却するのではない。
時間を買う装置だ。
ジョウは蓄熱ブロックを切り離し、船外へ放った。
肉眼では暗いままの蓄熱ブロックが、熱画像では白く飽和し、ナイトジャー号より強い赤外線源として暗闇へ流れる。
CINDER-7の照射口が、そちらを追った。
「機械に囮が効くのか」
レイが聞く。
「証拠を消す機械だ。いちばん熱い証拠を選ぶ」
ハクが《ヴェスパー》を加速させる。
蓄熱ブロックへ近づいたCINDER-7の推進器を、一本だけ撃ち抜いた。
無人機は回転を始める。
自らの照射が、開いた遮熱板へ戻る。
十三秒後、制御不能を判定した無人機は照射を停止した。
ジョウは二枚目の放熱器を開いた。
N-7の温度は、ゆっくり下がっていく。
宇宙が熱を吸い取ったのではない。
ユラが作った道を通って、ポッドが自分の熱を光として捨て始めたのだ。
真相――ユラは、熱を第七の証人にした
冷却後、ミラは宇宙服の生体記録とポッドの機械記録を照合した。
遺体は、ユラ・セインで間違いなかった。
三年前、ユラはBH-13観測環の熱設計責任者だった。
エナが無人証拠カプセルを《オルフェウス》として落下させたとき、ユラはカプセルの送信器とC-13の熱遮蔽を組み直している。
中央記録局は、原記録だけでなく、その作業を知る技師も消そうとした。
CINDER-7が接近したとき、ユラはエナの認証票を持ってN-7へ移り、C-13から切り離された。
エナ本人がポッドへ逃げたように見せ、追跡を引き受けたのだ。
C-13はエナ、負傷したハク、MICA-13を乗せて離脱した。
N-7はCINDER-7に追われた。
ユラは十三分ごとに閉じられる放熱器を手動で開き、姿勢を変え、処分温度へ達することを防いだ。
推進剤が尽きるまで、二時間四十六分。
最後に、十三枚の温度記録片へ熱の経路を残した。
電子記録は消せる。
紙は燃やせる。
しかし、一度溶け、一度曲がった金属が、どの温度へ達したかまでは削除できない。
ユラは、自分を殺した熱そのものを証人に変えた。
ジョウはヘルメットを外し、遺体の顔を確認した。
三年前と同じ人だった。
ただ、ジョウが覚えていたより小さく見えた。
「先生」
それ以上の言葉は出なかった。
レイは少し離れた場所で待った。
ミラも記録端末を閉じた。
MICA-13だけが、十三秒間沈黙したあとに言った。
「ユラ・セイン技師の未払い救難報酬を確認しました」
ジョウは笑いそうになり、できなかった。
「いくらだ」
「0クレジットです」
「この船は、本当にろくな依頼が来ないな」
レイが答える。
「受けるか」
ジョウはユラの認証板を外し、自分の工具箱へ入れた。
「もう受けてる」
第七証言の奥にあった貨物室
十三枚目の温度記録片は、他より厚かった。
内部に機械式の鍵が入っている。
エナの認証票とユラの工具刻印を重ねると、座席下の床が十三センチだけ持ち上がった。
その下には、小さな貨物室があった。
中には、黒い円筒が十三本固定されている。
一本ずつに、同じ表示。
貨物質量:0.00 kg
重量区分:無荷重
検査免除:自由落下貨物
ジョウは表示を見たまま動かなかった。
「何がおかしい」
レイが聞く。
「全部だ」
ジョウはポッドの慣性計測値を出した。
N-7は設計値より412キログラム重い。
だが貨物記録上、円筒は一つも質量を持っていない。
ハクが通信越しに言う。
「無重力なんだ。重さがゼロでも不思議じゃない」
「重量と質量は違う」
ジョウは一本の固定具を外した。
円筒は宙へ浮いた。
押すと、わずかに動く。
しかし止めようとした瞬間、ジョウの身体が反対方向へ強く押し返された。
軽くはない。
床へ落ちないだけだ。
円筒の底には、ユラの手書きが残っていた。
WITNESS 08:INERTIA
ゼロと書かれた荷物を、押してみろ。
さらに貨物識別番号。
FREIGHTER HALCYON/CONSIGNMENT 13-0
MICA-13が航路を検索する。
「貨物船《ハルシオン》は現在、小惑星帯の無検査航路を通過中です」
「積載質量は」
「公式記録では0キログラムです」
「実測は」
MICA-13が十三秒、黙った。
「推進履歴から逆算すると、少なくとも18,000トン」
操縦室から音が消えた。
質量ゼロとして登録された、一万八千トンの船。
そして航路の先には、人口十二万人の小惑星都市があった。
CASE 007は解決した。
ユラ・セインは、宇宙の寒さで凍ったのではない。
証拠を焼くために熱を送り込まれ、熱の出口を閉ざされた。
それでも彼女は、最後に通った熱の道を第七の証言に変えた。
そして、その証言は次の事件を指していた。
地面へ落ちないからといって、質量まで消えたわけではない。
宇宙は何度なのか
「宇宙は何度」と一つの温度で表すと、誤解が生まれやすくなります。
希薄な粒子や宇宙背景放射について温度を定義することはできますが、宇宙船や人体の温度は、周囲の冷たい空気に触れて決まるわけではありません。
物体が受け取るエネルギーと、外へ放つエネルギーの釣り合いで決まります。
同じ場所でも、
- 恒星光を受ける面
- 惑星の赤外線を受ける面
- 深宇宙を向く放熱面
- 電子機器の近く
- 多層断熱材の内側
では、大きな温度差が生じ得ます。
宇宙船が熱くなる主な理由
電子機器や乗員が熱を生む
コンピューター、通信機、バッテリー、モーター、生命維持装置は、使用したエネルギーの一部を熱に変えます。
人間も代謝によって熱を出します。
真空では船外への対流がない
地上なら空気や風が熱を運びます。
真空ではその経路がほぼないため、内部の熱を構造や冷却材で放熱器へ運び、熱放射で捨てる必要があります。[参考1]
太陽光などを吸収する
太陽に向いた面は放射を吸収します。
表面の色だけではなく、太陽光の吸収率と赤外線の放射率を調整する特殊な塗装、フィルム、断熱材が使われます。[参考1][参考2]
断熱材は熱を「なくす」ものではない
多層断熱材は外部から入る熱や内部から逃げる熱を減らします。
守りたい機器を温度変化から隔離できますが、内部で発生し続ける熱に出口がなければ、断熱によって熱がこもる場合もあります。
姿勢が温度を変える
放熱器を深宇宙へ向け、太陽や高温の天体、エンジン噴流などから避ける姿勢が必要です。
同じ宇宙船でも、向きが変わるだけで受熱と放熱のバランスが変化します。[参考1]
人間は宇宙で一瞬に凍るのか
一瞬には凍りません。
真空には、身体の熱を対流で急速に運び去る空気がありません。NASAの解説でも、真空曝露で人体が瞬間的に凍結するわけではないと説明されています。[参考3]
ただし、安全という意味ではありません。
より早く深刻になるのは、
- 酸素不足
- 低圧による体内気体の膨張
- 露出した水分の沸騰・蒸発
- 組織の腫れ
などです。息を止めることも肺を傷つける危険があります。宇宙服や与圧船内は、酸素だけでなく身体へ必要な圧力を与え、温度も管理します。[参考3][参考4]
「すぐ凍らない」は「しばらく平気」という意味ではありません。
凍らない遺体が確定したこと
区分表示:ナイトジャー号、救難ポッドN-7、七万クレジットの回収令状と百四十万クレジットの滅却令状、十三枚の最大温度記録片はSTAR WARRANTの物語です。真空では対流で船外へ熱が逃げないこと、宇宙船が放熱器から赤外線として熱を捨てること、人体が真空曝露で瞬間凍結せず低圧と酸素不足が先に危険になることは現実の熱物理であり、作中の同位体ヒーターや証拠滅却手順とは区分します。
REAL SCIENCE 現実の科学
- 真空中では船外への対流による熱移動がほぼない
- 宇宙船内部では伝導や船内流体の対流で熱が移動する
- 宇宙船は主に熱放射によって外部へ熱を捨てる
- 放熱器は内部の余分な熱を赤外線として放ちやすい表面を持つ
- 太陽光、電子機器、バッテリー、エンジン、乗員は熱源になる
- 多層断熱材は熱移動を抑えるが、内部の発熱を消すわけではない
- 宇宙船の向きによって、受け取る熱と放つ熱が変わる
- 一つの物体でも日向側、日陰側、放熱面で大きな温度差が生じ得る
- 人体は真空へ出た瞬間に凍結しない
- 真空曝露では、瞬間凍結より酸素不足と低圧の影響が先に問題になる
- 低圧で水分が蒸発すると、周囲から熱を奪って冷却することがある
STORY 作中だけの設定
- 西暦2319年の救難ポッド
N-7 - 三年間作動する小型同位体非常ヒーター
- 中央記録局の物理証拠処分ドローン
CINDER-7 - 430ケルビンを十三分維持する証拠滅却手順
- ユラ・セインとジョウ・カナタの師弟関係
- 十三枚の最大温度記録片
WITNESS 07:HEATと十三証言計画N-7内部の質量ゼロ登録貨物- 貨物船《ハルシオン》と18,000トンの未登録質量
次の事件へ残った作中の問い
- 十三証言計画を最初に立案したのはエナ、ユラ、MICA-13の誰か
- 残る第八〜第十三証言は何か
- CINDER-7の処分命令を承認した中央記録局の上位者
- 《ハルシオン》が運ぶ18,000トンの貨物の正体
- 質量を0として登録することで、どの検査と料金を回避していたのか
- その貨物が小惑星都市へ向かう目的
- エナは
N-7切り離し後、どこへ向かったのか - ナイトジャー号へ接近する四隻の賞金船をどう回避するのか
HYPOTHESIS 真空曝露に残る科学的な未確定事項
- 人体が真空へ曝露されたとき、回復できる時間の上限や後遺症は、減圧の速さ、息を止めたか、曝露前の酸素状態、救助までの時間で変わります。NASAの解説も限界は正確には分かっていないとしており、「何秒までなら安全」と一つの数字にはできません。[参考3]
この未確定性は、人体が瞬間凍結しないという確立した説明を覆すものではありません。真空曝露は短時間でも緊急事態です。
宇宙の熱について、よくある疑問
宇宙空間は絶対零度なの?
物質や放射について温度を定義できますが、「絶対零度の冷たい空気が満ちている」わけではありません。
宇宙船の温度は、太陽光や天体から受ける放射、内部発熱、表面特性、放熱能力などで決まります。
日陰へ入れば、宇宙船はすぐ凍る?
すぐには凍りません。
日陰へ入ると太陽からの入熱は減りますが、船体や機器が持つ熱容量があり、内部発熱も続きます。放射による冷却には時間がかかります。
黒い表面は宇宙船の放熱に向いている?
単純に色だけでは決められません。
宇宙機の表面では、太陽光をどれだけ吸収するかという性質と、赤外線をどれだけ放射するかという性質を分けて考えます。放熱器には、赤外線をよく放ちながら太陽光を吸収しにくい特性が求められる場合があります。[参考1][参考2]
宇宙服にはエアコンがある?
宇宙服は圧力と酸素を保つだけでなく、身体から出る熱と湿気も管理します。
実際の方式は宇宙服によって異なりますが、冷却水を通す衣服、熱交換器、昇華器などが利用されてきました。真空だから自然に冷えると任せることはできません。[参考5]
宇宙へ出ると血が沸騰する?
皮膚や循環系が圧力を与えるため、全身の血液が一瞬で沸騰するという表現は正確ではありません。
ただし低圧では、露出した水分や一部の体液で気化が起こり得ます。酸素不足と圧力低下は短時間で深刻な危険になります。[参考3][参考4]
宇宙船の放熱器が壊れたらどうなる?
熱源の大きさ、断熱、予備系、姿勢変更などによりますが、内部温度が上昇し、電子機器、バッテリー、生命維持装置が許容温度を超える可能性があります。
機器停止、電力制限、姿勢変更、予備放熱器の展開などで、発熱を減らすか熱の出口を確保する必要があります。
次の賞金事件
無重力でも質量はなくならない? CASE 008「重さゼロの密輸品」
貨物船《ハルシオン》の積載記録は、0キログラム。
検量料も、推進剤税も、危険物検査も支払われていない。
船内では、黒い円筒が何千本も宙へ浮いている。
床へ落ちない。
手を離しても、その場を漂う。
見た目だけなら、どれも軽い。
しかし《ハルシオン》が進路を変えるたび、船体は本来の計算より十三秒遅れて反応する。
誰かが一本を押した瞬間、押した人間の方が壁まで吹き飛ばされた。
無重力では「重さ」を感じにくくても、物体の質量と慣性は消えない。
そして、公式には質量ゼロの貨物船が、十二万人の暮らす小惑星都市へ衝突する航路に入っていた。
SEASON 1 EVIDENCE
この捜査で確定したこと
- WITNESS 07:HEAT
- ユラ・セインが残した十三枚の最大温度記録片
- 十三証言計画が異なる物理媒体を使う計画だったこと
読了記録は、この端末のブラウザーにだけ保存されます。
参考資料
- NASA Small Spacecraft Systems Virtual Institute「SOA: Thermal Systems」
- NASA Small Spacecraft Technology State of the Art「7.0 Thermal Control」
- NASA Goddard / Imagine the Universe!「What happens to the human body in the vacuum of space?」
- NASA「Why Do We Really Need Pressure Suits?」
- NASA TechPort「Advanced Spacesuit Thermal Rejection Systems」